中学生の国語

平家物語の冒頭の全訳と解説

平家物語の冒頭部分である「祇園精舎」の原文の全訳と解説を書いていきます。中学生の国語の授業でも習うので、学校の定期テストの対策としても役立ててください。

平家物語「祇園精舎」の原文

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

平家物語「祇園精舎」の全訳

祇園精舎の鐘の音色には、諸行無常を感じさせる響きがある。沙羅双樹の花の色は、どんなに勢いの盛んな者でも、その勢いは必ず衰えるという道理を表している。勢いに乗り得意がっている人も、その勢いは長く続くことはなく、それはまるで春の夜に見る夢のようである。勇ましく猛々しい者も、結局は滅んでしまう、それは全く風の前の塵と同じである。

平家物語「祇園精舎」の解説

祇園精舎

祇園精舎は、祇園という場所に建てられた精舎をさします。約2600年前、インドにコーサラ国という国があり、その国の王子が所有していた森林が
祇園という名前の場所です。精舎とは、寺院のことです。とある富豪が、釈迦が説く仏法を聞いて感動し、釈迦の弟子となり、釈迦が説法を行うための寺院を建築しようと考え、この寺院が建てられました。実際に、釈迦がこの寺院で説法をしました。

諸行無常

諸行無常という言葉を、諸行と無常の2つの語句に分けて考えてみましょう。諸行は動作や行いという意味とはことなります。この世界に存在するあらゆる物と全ての現象をまとめて諸行と言います。植物、動物、土、岩、水、海、空気、建物といった、あらゆる物や、生まれること、老いること、病気になること、死ぬこと、悲しみ、喜び、怒り、花が咲くこと、果物が実ることといった、あらゆる現象が諸行です。無常というのは、常なるものは無いということです。ものごとの姿や状態というのは常に変化し続けるものであり、永遠に同じ姿や状態を保ち続けることはないということです。

これらを踏まえると諸行無常の意味は、「この世界のありとあらゆるものは、絶え間なく変化し続けており、永遠に同じ姿や状態を保ち続けることはない」となります。また、諸行も無常も仏教用語です。

祇園精舎の鐘の音と諸行無常

それでは、どうして祇園精舎で鳴る鐘の音色が諸行無常の響きを含んでいるのでしょうか?

寺院建築というのは、建屋が1つきりというのではなく、本堂、東堂、法堂、仏堂、僧堂というようにいくつかの建築物から成り立っています。祇園精舎の場合もそれは同じです。祇園精舎には無常堂というものがありました。年老いたり、病気になったりして死期が間近になった僧たちが、この無常堂で、人生の最後のひとときを過ごしました。そして、僧の誰かが亡くなるたびに、祇園精舎に配置した鐘が鳴らされたのです。鐘の音は、それを聞く人に、死は誰にも必ず訪れるものであるということを感じさせるものでした。ですから、諸行無常の響きがあるというわけです。

沙羅双樹の花の色

沙羅双樹というのは樹木の名前です。植物学的には少し複雑な理解が必要となります。日本では、ナツツバキという名前の樹木を沙羅双樹と呼んでいます。白い花を咲かせる樹木です。釈迦が仏法を説いたインドでは、フタバガキ科サラノキ属の樹木を沙羅双樹と呼んでいます。木の幹の高さは約30mになります。春に白い花を咲かせます。花はジャスミンに似た香りを放ちます。日本の寺院でもインドのサラノキを敷地内に植えたかったのですが、日本の気候はインドのように暖かくなかったため、同じような白い花を咲かせるナツツバキを代わりに植えたようです。

釈迦は旅の途中で亡くなりました。釈迦は、2本の沙羅の木が対になっている場所を選んでそこに横たわり、息を引き取ったということです。沙羅の木は、淡く黄色い花を咲かせていましたが、釈迦が横になり息を引き取ると、黄色い花は一旦散り、そのあとすぐに真っ白な花を咲かせたそうです。白い花々は、咲くとすぐに亡くなった釈迦の体の上に次々と舞い散り、釈迦の亡きがらを覆い尽くしたといわれています。

沙羅双樹の花の色の変化は諸行無常を思わせます。けれども、釈迦といえど死を免れることはできないという意味ではありませんし、釈迦が盛んな者というわけでもありません。永遠に変化しないであると思われている花の色まで、釈迦の死によってたちまち変化してしまうのだから、権勢の強い人間が権勢を弱まらせてしまうのは必然であろうということです。

春の夜の夢

春は、夜明けの時刻が早くなり、夜も睡眠の時間も短くなります。見る夢も短くなりがちです。また、目覚めがはやいのですから、見る夢は、はかないものになります。「春の夜に見る夢のように、はかないものである」という意味になります。

風の前の塵

たとえば、住まいの廊下の床に小さな塵があったとしします。その廊下に一陣の風が吹けば、塵はたちまちどこかに飛ばされてしまうでしょう。風に、あい対する塵のように脆いという意味です。

その他

理とは道理のことです。道理とはものごとのすじみちです。

おごるとは、権力、財産、地位を誇って、思い上がった振るまいをすることです。

久しからずは、久しくはないということです。久しいは永遠に続くという意味です。

滅びぬは、滅ばないではありません。滅んでしまうという意味です。古文の「ぬ」という言葉は「~しない」と「~してしまう」のどちらかの意味になります。真逆の意味になるので注意しましょう。